徒然花

生きる意味を求めて

「居場所」がもたらすこと

「居場所」を別の言葉に置き換えてみると、

 

秘密基地

安全な場所

帰ることができるところ

受け入れてもらえるところ

 

こんな言葉になると思う。

 

この「居場所」は、

前回の記事では

「生きることの根拠」などと

仰々しい言葉で表したが、

非常に身近な問題と繋がっていたりする。

 

わたしの前の仕事の話で例えてみたい。

前の仕事は塾講師だった。

前の会社では教室をいくつも持っており、

曜日によって入る教室が違っていた。

 

教室が違えば、

教室を運営する人も違うので、

教室ごとにその運営する先生のカラーが

教室の雰囲気としてはっきり出ていた。

 

その中で印象的な教室があった。

それは、自由な空気が流れていて、

(自由といっても放任ではなく)

講師には仕事を任せてくれていることを、

生徒にはある程度本音を言えるやわらかさを

感じさせてくれるような教室だった。

 

わたしの話をすると、

わたしは責任のある仕事というのが苦手だ。

そういう仕事を任されたときには、

必ずと言っていいほど萎縮してしまう。

「失敗したらどうしょう・・・」などの

不安がつきまとうからだ。

 

しかし、

ここで不思議だったのは、

仕事を任されているのに、

変なプレッシャーはなく、

焦りや不安を感じずに、

自分が思ったように授業をすることができたのだ。

 

なぜ、

「失敗したらどうしよう・・・」

などの不安がなく仕事ができたのか。

 

それは、

その教室を運営する人が

「責任は俺が全部引き受ける」

という雰囲気を出しており、

その気概を感じることができたからだ。

 

つまり、

ここに「居場所」を感じていたのだ。

 

もし失敗しても、

この人なら受け入れてくれる、

挽回のチャンスをくれる、

という直感が働いたのだ。

 

緊張でガチガチに固まった心がほぐれ、

余裕が生まれることになったわけだ。

 

だから

心に余計な負荷をかけることなく、

適度な緊張感を持って仕事に臨めた。

 

更に、

副産物として、

「こうしてみようかな?」

「ああしてみようかな?」

といったアイデアを少しずつ思いつくようになったり、

それを実行に移すようになったりした。

 

緊張でガチガチのときは、

「失敗したらどうしよう・・・」とか

「言い訳はどんなのがいいかな・・・」とか

脳みその容量を、

ネガティブな方ばかりに使っていた。

 

しかし、

上に立つ人が「俺が責任はとってやる」と

態度で示してくれているだけで、

心に余裕が生まれ、

仕事場は改善に向かった。

 

このときの教室長には

本当に感謝しているし、

上手にこちらの能力を引き出してくれたと感じている。

 

 

 

「居場所」、

今回の記事では

安心できる場を提供する人がいることで、

その場が「居場所」となり、

職場が改善されるというケースを取り上げた。

 

不安や心配でいっぱいになっているわたしが、

「居場所」だと感じるところに行くと、

それらのネガティブな要素が消え、

ぽっかりとその部分に空白ができる。

 

そうすると、

元来持っている素質や才能が

その空白を埋め、

結果として発揮される。

 

これは、

どんな人にも当てはまると思う。

 

ただ、

その「居場所」にいるわたしが、

その「居場所」にいてもいいことを

自分自身に許可することができていないと、

効果を発揮しない場合があると思うが、

それに関しては、また別の機会に書こうと思う。

 

とにかく

この「居場所」というキーワードが、

教育や子育ての土台にあったら、

そこで育った子供は、

素質や才能をいかんなく発揮し、

のびのびと育つのではないかと想像できる。

 

ここで思い出すのは、

巨木トマトで知られる野澤重雄さんの話だ。

 

普通のトマトの種子を

ある条件下で育てると、

直径10メートル以上に生長し、

1万6千個以上の実をつけるのだそうだ。

 

そんな巨木トマトが育つ条件の一つに、

のびのびと育てる環境を整えてあげる

というものがある。

これはきっと、植物でも人間でも同じなのだろう。

 

「居場所」、

もう少し深めたいキーワードだ。。。