徒然花

生きる意味を求めて

「心理的安全性」と「腹」

居場所について、

こんな記事を見つけた。

 

gendai.ismedia.jp

 

これは、

見出しをキャッチーにするために、

「社員の生産性を高める方法」

としているが、

ここで言われていることは

別に生産性を高める方法に限らない。

 

この記事の中で

心理的安全性」という言葉が使われている。

 

この記事から引用すると、

「こんなことを言ったらチームメイトから馬鹿にされないだろうか」、あるいは「リーダーから叱られないだろうか」といった不安を、チームのメンバーから払拭

した状態を指す言葉だ。

 

要するに、

(誤解を恐れずに言えば)

素の自分を出せる環境のことだ。

 

「いい子」や「できる子」を演じている人には、

この心理的安全性の欠落(していると思っている状態)が、

学校や職場、家庭で苦しくなってしまう主な原因だとわたしは思っている。

 

そして、

この記事には、

心理的安全性を育むには何をすればよいのか」

という例として、

自身の病気について語った

日系アメリカ人の話が出てくる。

 

いわゆる

「腹を割って話す」

というやつだ。

 

ところで、

能楽師の安田登さんによると

腹は感情や意思を貯めるところなのだそうだ。

(安田登(2014)『日本人の身体』,ちくま新書

 

何かを決断するときは「腹を決める」「腹を固める」「腹を据える」。

 

怒りを感じたときは「腹が立つ」。

 

笑いがこみ上げたら「腹を抱える」「腹を切る」。

 

相手の考えていることを読み取ろうとするのを「腹を探る」「腹を読む」。

 

心の中にたくらみがあると「腹に一物」。

 

武士が腹を切るのは、

思うところに不純なものがない、

身の潔白を示すという意味が込められている。

 

逆に、

不純なものでいっぱいになると「腹黒い」となる。

 

そして、

言いたいことを言わないので

気が晴れないでいるのを「腹が膨れる」と言う。

(腹ふくるる思い)

 

言いたいことを言わないと、

腹が膨れてきてしまうのだ。

 

だから、

貯まってしまったら、

腹を割って話し、

貯まっていたものを出さないと不健康だ。

それを出させる土台となるのが心理的安全性だ。

 

そこで、

その土台を築く一つに、

「食事を共にする」というのがありうると思う。

 

昔から、

仲間のことを

「同じ釜の飯を食った仲」と言う。

 

逆説的に、

腹に同じものを入れると、

仲間意識が生まれるのだと

わたしは解釈したい。

 

だから、

食事の時間を共にすることで、

心理的安全性が生まれることを期待する。

 

最近は、

孤食という言葉がニュースでも使われるようだ。

孤食とは、文字通り一人でご飯を食べることを指す。

 

まずは、

家族で食事をすることができれば

それが一番よいのだと思うが、

それが叶わない人がいるのであれば、

次の仕事をしていく中で、

子どもたちの孤食を少しでもなくしていけたらよいなと思う。