徒然花

生きる意味を求めて

「穴を埋める土木作業」から、「言葉の持つ力」を考える

自然農という考え方・手法で

農業をやっている赤目自然農塾にお邪魔した。

 

そこでは、

 

耕さず、

肥料・農薬を用いず、

草や虫を敵としない。

 

というコンセプトで畑を作っている。

 

その畑では、

塾として開放している土地があり、

塾生がその畑を借りて、

作物を育てることもできる。

 

わたしは今回、

そこでの「共同作業」というものに

参加をしてきた。

 

わたしは畑を借りていないので、

その日、丁度人を必要としていた、

穴埋め作業を手伝うことにした。

 

敷地内に、

大人が2人入れるくらいの

大きな穴が地面に空いていた。

 

聞くと、

どうもモグラが地下を掘ったり、

 下を流れる水が地盤をぬかるませたりと、

原因はいくつかあるようだった。

 

とにかく

その穴を埋めるわけだが、

こんな経験をしたことのないわたしは

土をどこかから持ってきて、

その土をかぶせるだけだろう

と思っていた。

 

しかし、

その想像は、

かなりこの世界が

ぼんやりとしか見えていないことを

この後、はっきり知ることとなった。

 

穴埋め作業で最初に行われたのは、

この穴の分析だった。

 

深さはどれくらいで、

露わになった地層はどんなで、

底はそれ以上陥没しないかなど。

 

そして、

土を運んでくる場所も、

掘る必要のある場所を選定し、

水を逃す側溝の土を使うことを

決定してから行動を開始した。

 

ここまでで既に、

わたしの想定からは大きく外れていたので、

わたしは何をすべきなのか分からず、

しばらく立ち尽くしていた。

 

しばらくして、

側溝掘りが始まったが、

これもいくつか手順を必要とした。

また側溝も掘ればいいというものではない。

深く掘りすぎてはダメだし、

曲がっていてもダメ。

 

次に、

敷地内を流れる小川に行き、

砂、砂利、げんこつ大の石、もう少し大きい石、そして水

これらを何往復もして

穴の場所まで運んだ。

 

そして

それらの材料を組み合わせながら、

少しずつ穴を埋めていく。

 

埋めるときも、

途中、丸太を突いて固めながら

作業が進められた。

 

砂利や石が足りなくなって、

追加で運んだりもした。

 

以上のプロセスを何度も繰り返した。

大人6人がかりで2~3時間を要してようやく、

最終的に穴を埋めることができた。

 

 

 

この作業を通して思ったのは、

「穴を埋める」と一口に言っても、

そのプロセスたるや、

生半可なものではないということだった。

 

昔、

どうぶつの森』というゲームで遊んでいた。

そのゲームの中で、

シャベルで穴を掘ってアイテムを掘り出したり、

開けた穴を埋めたりすることがある。

 

その「穴を掘る」「穴を埋める」という作業は、

ボタン1つでできるわけだ。

時間だってかからない。

ボタンを押してから、

せいぜい1秒程度で穴は埋まる。

 

穴を埋めるための土も、

どこからともなくやってくるし、

埋め立てたばかりの場所も、

ぬかるんではいない。

 

思えば、

わたしの世界の認識は、

その程度のものだった(笑)

 

だから、

現実に穴を埋める作業は、

体力的にはしんどかったが、

とても新鮮で面白かった。

 

大きな穴が自然に空くという驚き、

小川に行って石を拾うときに水が冷たいここちよさ、

重い石を運ぶしんどさ、

穴の埋まった達成感、

 

いろんな感情と体験が総合して

「穴を埋める」だった。

ボタンを押すだけでは

決して分からない体感覚を伴った作業。

 

「穴を埋める」という言葉からこぼれ落ちている

様々な発見や感情が、

その体験を豊かにしてくれるし、

 

体感覚を伴っているからこそ、

「穴を埋める」という言葉が、

「その人の言葉になる」ということだと思う。

 

「穴を埋める」というただそれだけの作業が、

《世界》への手触りを取り戻す触媒になりうる。

その可能性を感じた。

 

一つずつ、

その可能性を探っていきたい。