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徒然花

生きる意味を求めて

「《世界》への手触り」を取り戻す方法→鷲田清一『素手のふるまい』

《物語》の喪失について、

何度か記事で取り上げたが、

 

今後、我々はどのように

《物語》と向き合っていけばいいのか。

 

いつかの記事に書いたように、

自分自身のコンパスに基づいて、

自分の《物語》を紡いでいく必要があろう。

 

しかし、

「さぁ、自由に紡いで下さい!」

と言われたところで、

全く何もないところからは、

何も生み出せないのが人間だ。

 

何か、

参考になるものが、

やはり必要になろう。

 

そこで、

わたしが今後の人生のモデルに

したいと思っている1冊の本がある。

 

その1冊とは、

鷲田清一さんの『素手のふるまい』

という本だ。

鷲田清一(2016)『素手のふるまいーアートがさぐる【未知の社会性】』、朝日新聞出版

 

この本に登場する考え方は、

次の時代の生き方を

暗示しているように思うのだ。

 

物凄く長くなるが、

大事なところを引用しながら

書いていきたい。

 

その生き方は、

2003年に行われた

湊町アンダーグラウンドプロジェクトという企画に、

著者が一スタッフとしてかかわった話の中に現れている。

 

まず、

このプロジェクトを理解するには、

そのプロジェクトが起こった場所の理解が必要だ。

 

いまは再開発がおおよそ完了したが、

かつて大阪・JR難波駅のすぐそばに、

知ればだれもが度肝を抜くような

巨大な地下空間があった。

 

湊町地区の開発計画のなかで

地下のショッピング・アーケイドとして

構想されながら、

バブルの崩壊とともに

未完のまま封印された、

 

奥行きがおよそ190メートル、

天上の高さは5メートルほど、

総面積が3000平米はあろうかという、

細長いがらんどうの空間である。

(本書 p.23)

 

要するにそこは、

空間だけあり、

後は何もない空っぽで、

しかもないことにされていた。

 

そして、

あるアート・プロデューサーが開発者側から

「広場の整備にアート・ワークを入れて」と依頼された。

 

「なんかワクワクするものを」

を合い言葉に、

何人かのプロデューサーやアーティストと一緒に、

ある事務所に集まっておしゃべりを続けた

 

彼らは、何度かこの空間を探索したのち、

〈光〉のアート・イヴェントをやろうと決めた。

 

会期二週間(2003年9月20日から10月5日まで)

という束の間のイヴェントは、

ほぼ一年にわたるすさまじい人数の

共同作業から生まれた。

 

管理者の同意をとりつけ、

消防法をはじめとする厳しい法律を

クリアするための役所との交渉、

次々と生じる使用上の制限と

度重なるコンセプトの練りなおし、

蛍光灯を撤去予定のビルからもらってくる作業、

取り付け、消火栓の設置、

そして広報、経理、スケジュール調整、事務連絡……。

 

ここに延べ数千人という

ヴォランティアが合流した。

もちろん全員が手弁当である。

 

なかには

一ヵ月休職する人もいた。

 

「なんかわくわくするもの」、

このコンセプトだけでうごめきだした

たがいに見ず知らずの人たちの大きなうねりを、

言い出しっぺの一人でもあったわたしは、

傍から啞然と見守るばかりであった。

(本書 p.24)

 

例えば、

ここに挙がっているような法律は、

著者やプロデューサーも最初から頭にあったわけではなく、

「こういうことをしたい」

という思いを実現するために、

その都度、現れてきた問題なのだと言う。

 

それと並行して作品の制作がなされた。

 

やったことのないことを試みるのだから、

やってゆくなかで問題はだんだん増えてゆくばかり

 

法律的な問題をクリアしようとすると、

この空間でできることにも枠がはまる。

 

空間整備の進行とともに

全体のプロジェクトも作品のプランも

どんどん変化していった

(本書 p.25)

 

このプロジェクトを進めていく中で、

様々な軋轢が生まれたり、

途中から「この人、だれ?」という状況になったり、

地上からは「何やってんのー?」と

興味を持った若者の一部が合流したりと、

どんどん広がりを見せていったようだ。

 

唱歌「めだかの学校」のなかの

「だーれが生徒か先生か」というフレーズ、

それをわたしはこのプロジェクトの渦中で

何度も思い浮かべていた。

 

(中略)

 

だれが制作部門で

だれが支援部門かわからないような

無数の人たちの共同作業

 

ホワイトキューブの壁や床に展示された

「作品」を遠慮ぎみに「鑑賞」するだけの

アートの現場にあきたらなくなった

アーティストとヴォランティアの

共同作業であった。

(本書 p.26)

 

最終的に、

プロジェクトは形を為し、

短い会期のあと、

作品は全て撤去され、

空間自体も

ふたたび封印されたそうだ。

 

そして、

この一連の流れも大事なのであるが、

この後の著者が耳にした言葉も、

かなりの重要度がある。

 

その打ち上げの会で耳にした二つの言葉が、

いまも脳裡にはっきりと映っている。

 

一つは、

廃屋にあった蛍光灯1232本を集めて

光の絨毯を織りなした高橋匡太の言葉。

 

(中略)

 

制作の中心にいた

その高橋のほうは、

制作を終えてわたしにこう、

誇らしげに語ったのだった。

 

「じぶんはここでは作家ではなく、

 一人のスタッフでした」、と。

 

いま一つは、

ヴォランティアとして参加した二十歳ほどの女性の言葉。

 

「正しいと思うことって一人ひとり違うんですね」。

 

「それ、はじめて知ったの?」と

おもわず返しそうになったが、

その控えめの、

しかし思い定めたようなまなざしに

言葉を呑み込んだ。

 

ふつう考えればあたりまえのことを、

彼女はこの果てしない作業のなかで「発見」した、

 

身をもって学んだのだった。

 

(中略)

 

こう考えると、

「教室での学びのほうこそ特殊な学びに過ぎない」

ということにもなりそうだ。

 

「正しいと思うことって一人ひとり違うんですね」

とつぶやいた女性は、

これまでそういう知恵の使い方を

「ライブ感覚」で体験したことが

なかったのかもしれない。

 

「世間知らず」?

 

それでいいではないか、

いやそれはすごいことではないか、

「世間」を知ったのだから、

と感じ入ったのだった。

(本書 pp.27-28)

 

最後のインパクトを

感じて戴けただろうか?

 

幼少期から青年期にかけてをフツーに学校で過ごし、

遊びといえばテレビゲームだったわたし。

 

最後に「正しいと思うことって一人ひとり違うんですね

と言った女性と、わたしの感性はよく似ていると思う。

 

頭ばかりでっかくなって、

生きる希望を見失っていた自分にも、

この世界で楽しく生きる希望が残されていたんだ!!!

そう思わせてくれる文章・事例だった。

 

これが、

「《世界》への手触り」を取り戻す方法の事例だ。

 

この《世界》に触れる。

そしてその感触を確かめる。

 

そうすれば、

少しずつこの《世界》との

関わりを取り戻すことができるのだ。

 

そして、

この「《世界》への手触り」を取り戻すことによって、

生きている実感を取り戻すことができる。

 

その先に、

「やりがい」や「生きがい」、「感謝」といった言葉が

自分を待っていてくれるんだろうと思う。

 

この事例だけでは

理解しにくい場合は、

また機会を改めて、

まとめた記事を掲載したい。