徒然花

生きる意味を求めて

自信と弱さ

ある飲み会の席で。

 

一人が、

家族関係の不満を漏らしていた。

 

その場にいた別の一人が、

わたしに話を振ってきた。

「お前はそういう不満とかないの?」

 

あるにはある。

が、上手く表現できない。

口から出てきたのは、

すっごく表面的で抽象的な言葉。

 

すかさず、

質問してきた人は、

「お前は頭いいけど、頭でっかちだな」

と一言。

 

話を上手にまとめられない、

という不得手な部分も影響しているだろうが、

自信がないのが一番大きく影響している。

 

自分のことを話すのは

とても恥ずかしいことに感じる。

 

わたしの好み、

わたしの癖、

わたしの習慣、

わたしの夢、

休みの日の過ごし方、

普段から考えていること。

または、わたしの嫌いなもの、人。

 

話せば、大抵は、

「あ、君はそういう人なんだね」

で済んでしまう話なのだが、

それをついつい隠そうとしてしまう。

 

今まで、

この《世界》と関係を断ち、

逃げてきたツケが回ってきたのだ。

 

まぁでも、

周りの人に恵まれているのか、

自分のことを隠そうとしたからって、

人間関係に支障を来すような人はいない。

 

みんな、自分の弱さを容認してくれる。

いや、実際のところは、

容認というよりかは、

気にしていないだけなのかもしれない。

でも、気にしてないというのは、

別にそれでいいということなのだ。

 

別にそれでいい、というのは、

わたしの場合だったら、

むっつりでいいということだし、

その他もろもろを含め、いいということだ。

 

自分の中には、

そういう弱い自分を許せない自分がいる。

弱い部分が許せないから、

知的に振る舞おうとしたり、

気丈に振る舞おうとしたり、

空気が読めてますよアピールをしたりする。

 

自分に自信がないから、

自分じゃないものになろうとする。

それは疲れるし、

わたしの場合は上手くいかないことが多い(笑)

 

自分のことを喋れないというのは、

もう自分の癖になってしまっているし、

練習してこなかった部分なので、

これから自分のことを喋る練習を、

少しずつさせてもらいたいと思う。

 

その練習が、

自分を取り戻すことに繋がるだろうし、

《世界》への手触りを取り戻すのに、

必要なアクションになってくるだろうと思う。

 

 

 

ちなみに、

この飲み屋でのやりとり、

「お前は頭でっかちだな」と言った人は、

この飲み屋に行ったことすら記憶になかった(笑)

 

必要があれば、

この世界はきちんと、

練習の場を用意してくれるらしい(笑)

ありがたいことだ。