徒然花

生きる意味を求めて

生きる指針の見つけ方

生きる指針、

文字で表せば、たった5文字のこの指針を、

一体どのように探せばいいというのだろう?

 

難しいと思うかもしれないが、

それを知ることは割と簡単だ。

(ただ、受け入れられるかは別だ)

 

一言で言えば、

ただ、それを「見る」だけでいい。

現実を正しく見る、

そうすれば、

生きる指針は自ずと現れてくる。

 

どのようにしたら、

正しく見えるか。

恐らく方法はいろいろあると思うが、

この記事では、2種類の方法をご紹介したい。

 

まず1つ目、

それは、「感情」に正直になる

という方法だ。

 

人間に具わっている

「感情」とは不思議なもので、

これは生まれつき、なぜか、

わたしたちにインストールされている。

 

基本的に、

生まれつき具わっているものには、

何らかの目的が付随していると

わたしは考えている。

 

特に、

快/不快の感情は、

生命現象において原初的なものであり、

この感情の存在が

今日の生活を成り立たせていると言っていい。

 

簡単に言えば、

車をいじるのが好きだったら、

車をいじる時間を増やせばいいし、

 

植物を育てるのが好きなら、

植物を育てる時間を増やせばいい。

 

それは、

何かの役に立つとか立たないとか、

将来の仕事に繋げられるだろうかとか、

そういう次元の話ではなくて、

 

可能なら可能なだけ、

「これが好き」

「もっとこれをやってみたい」

「すごく面白い!!!」

という感情に従えばいい。

 

その感情自体が、

コンパスの役割を果たしてくれる。

 

このことは

割と多くの人が言っている。

だから聞いたことがある人も多いだろう。

 

 

紹介する2つ目の方法は、

目の前に来ているものをこなす

というものだ。

 

わたしの話を少し入れたい。

わたしは元々、

英語というものが苦手だった。

 

高校生の頃なんて、

偏差値30代の筋金入りの

苦手科目だった。

 

しかし、

ひょんなことから

塾の英語の講師になってしまった。

 

そこから

嫌だ嫌だと言いながら、

周りの応援もあって、

何とか文法の知識と、

少しの単語を習得した。

 

そして今、

その知識を活かす場を

与えていただいている。

 

名刺やチラシの、

ちょっとした英訳をしている。

そのお手伝いをしている今は、

以前の生活よりも、

生きている実感を得ることができている。

 

これは、

感情のみに従っていては、

得られなかった状態だ。

 

英語の講師になってしまい、

英語を勉強しなければいけない状況になり、

渋々やっていたことだ。

 

しかし、

目の前にやってきたことを

1つ1つこなすと、

思わぬところから、

思わぬ出来事が舞い込んでくる。

 

これは、

理屈ではないのだが、

わたしの体験に基づいた帰結だ。

 

しかし、

目の前にやってきたことを

きちんとこなすことの大切さは、

納税額日本一の斎藤一人さんも言っている。

 

目の前に来ているものをこなしているうちに、

いつの間にか前に進んでいる。

 

つまり、

目の前に来ているものそのものが、

方向を指し示している場合がある。

 

こうして、

知らず知らずのうちに、

進みたい方向へ進んでいるケースもある。

 

以上2つが、

わたしが今のところ信頼している、

生きる指針の見つけ方だ。

 

「自分の立っているところを深く掘れ。そこからきっと泉が湧き出る」高山樗牛