徒然花

生きる意味を求めて

《物語》を失った時代

まず、

現代(いま)がわたしに

どのように見えているのかを、

説明したいと思う。

 

河合隼雄さんと柳田邦男さんの

『心の深みへ』という本が

分かりやすく説明してくれているので、

再び、この本に立ち返る。

 

今度は、

長いのだが、

分かりやすいので、

数ページにかけて引用する。

(改行は、わたしが勝手に行っている)

 

柳田 ところでこの二、三十年、

時代とともに青年の

価値観や人生観やライフスタイルなどが

急速に変わってきたように思います。

 

私のような世代と

いまの十代、二十代では

感覚、価値観、喜びや悲しみ、人間関係は、

ずいぶん違うように感じるんです。

 

最近の大学生は

無気力になったとか、

活気がないとか、

ただおとなしくまじめなだけだとか(笑)、

いろいろ言われていますね。(中略)

 

河合 (前略)表面的な現象だけ見れば

いろいろ言えるんだけど、

ちょっと深く見ると

あんまり何も変わっていないですよ、

私から言うと。

 

まあ、

昔の学生のほうがカラ元気はありました。

でも、カラ元気があることによって

何か大きいことをしたかと言ったら

ほとんど何もしてないんで、

ワイワイ騒いだけども

結果は何も出てきてない。

 

だから、

カラ元気はだめだということを

いまの若い者は知っているわけです、

幸か不幸か。

 

もうちょっと違う言い方をすると、

イデオロギー一筋でケンカができない

ということを知っているわけですよ。

 

いまの学生はそういう点で

ちょっと気の毒ですよね。

 

イデオロギーを振りまわして

大人のところへ突っかかっていけないから。

 

その分だけおとなしく見えるけど、

無気力だから何も考えてないとか、

言われるままに動いているとか、

そんな単純なものじゃないですね。(中略)

 

もうひとつ言えることは、

若者の直面している悩みが、

非常に深くなっているという感じがします。

 

昔の学生だって、

人はなぜ生きるかとか、

人は何のために生きているのか

と悩んだんだけど、

そのときにイデオロギーで救われるような

錯覚を起こしやすかったでしょう。

 

おれはこの社会主義

日本を救ってみせるなんて、

そんなの絶対できないんだけど(笑)。

 

オモチャがあったから、

ずいぶんそれで救われた。(中略)

(でも、今は)オモチャがないんです。(中略)

 

私は思いますけど、

ものがないとか

何かが足らないというのは

ものすごく生きやすいんですね。

目標がはっきり見えますからね。

 

ところが、

これだけいろんなものが出てくると、

目に見える目標というのは

そんなにないわけでしょう。

 

簡単なことで言えば、

いっぺん腹いっぱい食いたいなんて、

それだけでも生きがいを

感じたんですが。(中略)

 

ところが、

いまの子どもは

そんなの全部もらっているから、

それは気の毒ですわ。

 

極端に言うと、

それぞれの青年は

お釈迦さんとおんなじレベルぐらいで

悩まされている。

だからものすごく大変です。

 

河合隼雄、柳田邦男(2002)『心の深みへ―「うつ社会」脱出のために』、講談社

 

少し前までは、

何かを揃えることに熱中できた。

テレビを買う、車を買う、パソコンを買う。

 

でも今、

いいテレビを買う?

いい車を買う?

いいパソコンを買う?

 

そりゃ、壊れたら買うけど、

使えるうちに買い替えたりはしない。

 

そういうものは

家にあるわけだから、

特別欲しいという気持ちも湧かない。

(テレビに関しては、なくていいとさえ思う)

 

そういう分かりやすい《物語》が

自分たちの世代には存在しない。

 

良い大学行って、

良い会社に勤めて、

という物語も、

何が「良い」のかが不明瞭だから、

機能しない。

 

さきほどの引用に上がっていた、

イデオロギー一筋でケンカができない、

というやつだ。

 

分かりやすい《物語》は、

わたしにとっては全部色褪せて見える。

 

現代の文脈に照らし合わせると、

機能不全を起こしている。

 

それでも、お腹はすくから、

一応はサラリーマンになって、

お金を稼がなくちゃいけない。

 

前の会社に入ったモチベーションは、

それくらいのものだった。

世間体もあるから、

アルバイトではなくて、正社員。

ただ、それだけ。

 

わたしから見て、

現代は、

《物語》を失った時代なのだ。